ネクストステージ表現

生理データが変える身体表現:心拍・呼吸のリアルタイムフィードバックを用いたパフォーマンス

Tags: 生理データ, バイオフィードバック, ライブパフォーマンス, 身体表現, インタラクション

はじめに:内なる身体のサインを表現に繋げる

ライブパフォーマンスにおいて、身体の動きや声は主要な表現媒体です。しかし、私たちの身体は、外部に現れる動きだけでなく、心拍や呼吸といった生命活動による無意識のリズムも刻んでいます。これらの内なる生理データをリアルタイムに取得し、視覚や聴覚といった外部感覚にフィードバックすることで、身体表現に新しい次元をもたらす試みが増えています。

本記事では、特にコンテンポラリーダンスなどの身体表現に関心を持つ読者の方々に向けて、心拍や呼吸といった生理データを活用したライブパフォーマンスの可能性について解説します。これらのデータがどのように取得され、どのように映像や音響へと変換されるのか、具体的な技術や始め方のヒント、そしてクリエイターの取り組みについてご紹介いたします。

生理データ活用がもたらす身体表現の新しい視点

なぜ、心拍や呼吸といった生理データをパフォーマンスに活用するのでしょうか。これにはいくつかの理由が考えられます。

まず、これらのデータは身体の深層部、生命活動の根源に関わるリズムです。意識的なコントロールが難しい無意識の領域に触れることで、通常の身体表現だけでは到達しえない、生命そのものの躍動や内的な状態を表現に取り込むことができます。

次に、生理データは感情や緊張、集中といった心理状態と密接に関わっています。パフォーマーの内なる状態をリアルタイムに観客と共有することは、より深い共感や没入感を生み出す可能性があります。ダンサー自身の心拍が、その場の雰囲気や感情の変化に応じてリアルタイムに可視化・音響化されることで、パフォーマンスに即興性や予測不能な要素が加わります。

さらに、技術を介して自身の心拍や呼吸を客観的に「見る」「聴く」ことは、パフォーマー自身の身体感覚を研ぎ澄ませ、新しい身体の発見に繋がる場合もあります。これは、技術を単なる演出ツールとしてだけでなく、身体探求のためのフィードバックシステムとして捉える視点です。

表現を拡張する具体的な技術要素

心拍や呼吸データをライブパフォーマンスで活用するためには、主に以下の技術要素が関わってきます。

データの取得

これらのセンサーは、ArduinoやRaspberry Piのようなマイクロコントローラーやシングルボードコンピューター、あるいは専用の生体情報計測デバイスと組み合わせて使用されることが多いです。

データの処理と連携

取得した生データは、そのままではノイズが多く不安定な場合があります。そのため、リアルタイムでのフィルタリングやスムージングといった信号処理が必要です。

処理された生理データ(例:1分間の心拍数、直前の心拍間隔、呼吸サイクルにかかる時間など)は、パフォーマンス用のソフトウェアやハードウェアに連携されます。この連携には、Open Sound Control (OSC) や MIDI といった通信プロトコル、あるいはシリアル通信がよく利用されます。

連携先のソフトウェアとしては、リアルタイムでの映像生成や処理が可能なTouchDesigner、サウンドデザインやインタラクティブシステム構築に強いMax/MSP/JitterやPure Data、ゲームエンジンであるUnityやUnreal Engineなどが挙げられます。これらのツール内で、生理データを元に映像の色、形、動き、音響のピッチ、ボリューム、テクスチャなどをリアルタイムに変化させるシステムを構築します。

表現へのフィードバック

処理・変換された生理データは、以下のような形で観客やパフォーマーにフィードバックされます。

これらのフィードバックは、パフォーマーの身体内部のリズムを、観客が知覚できる形で空間全体に拡張し、共有体験を生み出します。

生理データ活用パフォーマンスの事例とクリエイターの取り組み

生理データをパフォーマンスに取り入れている事例は世界中で見られます。

例えば、自身の心拍を音響システムに接続し、鼓動を会場に響かせるパフォーマンス。あるいは、複数のパフォーマーの心拍や呼吸データを同時に取得し、それらの相互関係や同期・非同期を視覚化・音響化することで、集団の内部状態や関係性を表現する試み。

ダンサーが特定の感情を想起した際に変化する心拍や呼吸のパターンを捉え、その瞬間の内的な動きをデジタルアートとして増幅させる作品なども存在します。これらの事例は、技術がパフォーマーの身体と深く結びつき、内的な世界を外的な表現へと媒介する可能性を示しています。

この分野に取り組むクリエイターは、アーティストだけでなく、エンジニア、研究者、デザイナーなど多様な背景を持つ人々です。パフォーマー自身が技術を学び、自らの身体とデータの関係を探求するケースもあれば、技術者がパフォーマーと密接に連携し、特定のコンセプトを実現するためのカスタムシステムを開発するケースも多く見られます。

生理データを用いたパフォーマンスを始めるためのヒント

「内なるリズムを表現してみたいけれど、何から始めれば良いかわからない」という方もいらっしゃるかもしれません。ここでは、比較的取り組みやすいステップをご紹介します。

  1. 簡単なセンサーから試す: まずは安価で手軽なパルスセンサーと、Arduinoのような開発ボードを入手してみることをお勧めします。インターネット上には、Arduinoでパルスセンサーのデータを読み取るための多くのチュートリアルが存在します。
  2. データを可視化・音響化してみる: Arduinoで取得したデータをシリアル通信でコンピューターに送り、Processingやp5.jsで波形を表示したり、Max/MSPやPure Dataで簡単な音を鳴らしたりすることから始められます。これらのツールは、ビジュアルプログラミング環境を備えているものもあり、直感的にシステムを構築しやすいものがあります。
  3. 既存のライブラリやサンプルコードを活用する: 生理データ処理やOSC/MIDI通信のためのライブラリやサンプルコードが多く公開されています。これらを活用することで、ゼロから全てを開発する必要はありません。
  4. ワークショップやコミュニティに参加する: デジタルアートやインタラクションデザインに関するワークショップでは、実際にセンサーを扱ったり、ソフトウェアを用いたシステム構築を学んだりする機会があります。また、関連するコミュニティに参加することで、技術的な情報交換や共同プロジェクトの機会を得られる場合があります。
  5. 技術者との連携を検討する: もし自身で技術習得を進めるのが難しいと感じる場合は、デジタルアートやメディアアートに関心のある技術者やエンジニアと連携を探ってみるのも有効です。共通のビジョンを持つ協力者を見つけることで、より複雑で洗練されたシステム開発が可能になります。自身の表現コンセプトを明確に伝えることが重要です。

シンプルな心拍センサーとマイコン、そしてMax/MSPのようなソフトウェアがあれば、数万円程度の比較的抑えたコストから始めることも可能です。まずは、ご自身の心拍や呼吸をリアルタイムに可視化・音響化してみることから、新しい表現への扉が開かれるかもしれません。

課題と今後の展望

生理データを用いたパフォーマンスには、データの安定性やノイズ対策、センサーの装着感、倫理的なプライバシーへの配慮といった課題も存在します。また、取得したデータを単にフィードバックするだけでなく、それが表現としてどのように深まるのか、パフォーマーや観客との間でどのようなインタラクションを生むのかといった、芸術的な洗練も常に求められます。

しかし、技術の進化により、より高精度で小型、ワイヤレスなセンサーが普及し、データ処理やAIによるパターン認識技術も進んでいます。これにより、パフォーマーの負担を減らしつつ、より複雑で微妙な身体のサインを捉え、表現に活用することが可能になるでしょう。

内なる身体のリズムとデジタル技術が織りなすパフォーマンスは、私たちの身体への認識を深め、生命そのものの神秘性や他者との繋がりを改めて問い直すきっかけとなるかもしれません。

結びに

心拍や呼吸といった生理データは、私たちの身体の中に常に存在する「内なるリズム」です。このリズムをデジタル技術を用いて外部化し、可視化・音響化することは、身体表現に新しい深みと可能性をもたらします。

技術的なハードルはありますが、ご紹介したように、比較的取り組みやすい方法から始めることも可能です。ご自身の身体が刻むリズムに耳を傾け、デジタル技術という新しいツールを用いて、まだ見ぬ表現の世界を探求してみてはいかがでしょうか。技術者との連携も視野に入れつつ、内なる身体とデジタル技術の対話から生まれる「ネクストステージ」の表現に挑戦することを応援しています。